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    昭和初期の新宿は今と同じように多くの飲食店があり、たくさんの人で賑わっていました。家族連れで食事にいくことがみんなの大きな楽しみのひとつでした。ここでは当時の新宿にあった飲食店のいくつかを紹介します。 
  
    
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      | 『新宿歴史博物館 常設展示解説シートより』) | 
     
    
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昭和6年頃のほてい屋 
新宿大通商店街振興組合刊 
『新宿大通り280年史』より 
(『大東京写真帖』より) | 
     
    
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昭和5年に開店した三越新宿支店。 
当時は日本一のビルとされていた 
新宿歴史博物館提供(三越提供) | 
     
    
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昭和5年の松屋と京王新宿駅 
新宿大通商店街振興組合刊 
『新宿大通り280年史』より((京王電鉄提供) | 
     
    
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昭和12年、ほてい屋合併後の伊勢丹。 
夜間営業のイルミネーションが輝く 
新宿大通商店街振興組合刊 
『新宿大通り280年史』より(伊勢丹提供) | 
     
    
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  新宿のデパート第一号ほてい屋  
    5階食堂
    関東大震災のすぐあと、新宿の将来性に目をつけ、大正15年1月いち早くデパートを作ったのがほてい屋です。入り口にたくさんの食べ物の見本がおかれ、また、麹町や牛込から下町一帯までが一望の元に見渡せたといわれます。 
  「新宿へ、三越へ!」三越新宿支店 
    7階大食堂
    昭和5年、新宿駅前の分店(後に二幸、現在のアルタ)から現在地へ新築移転しました。7階の食堂からの眺めは格別で、西口浄水場やガスタンク、さらには富士山、伊豆半島の山並みまで見えたといいます。 
ターミナルビルの草分け、新宿松屋 
  松屋食堂
   昭和4年、甲州街道を通って追分まで来ていた京王電車の新宿追分駅の上に、新宿松屋が開店しました。東京でのターミナルデパートの草分けです。地下に松屋食堂がありました。一時閉店したこともありますが、後には京王パラダイスになり、喫茶、食堂、ビヤホールなどがありました。 
    
  スケートリンクもあった伊勢丹デパート 
  6階大食堂
   伊勢丹の大食堂は6階にありました。開店記念の絵はがきでは、正面玄関や屋上庭園などとともにこの大食堂の模様が紹介されています。ほてい屋の建物にそっくりな建物を、しかもほてい屋とぴったりくっつけて建てて昭和8年に開店し、後にほてい屋を合併しました。 
   戦前にでた雑誌「新宿」(昭和8年号)に「新宿の繁栄はどこから」という記事があり、その中に「ひらけ行く新宿を鳥瞰してみたまへ、実に驚くべき発展ぶりである。そびへ立つ大廈の数々よ。(中略)何としても新宿の繁栄はデパートからだ」と書かれています。ここにいわれるように、当時から新宿はいくつものデパートが軒を連ね、まさにデパート戦争ともいうべき状況がありました。こうした中で「百貨店は中小業者の失業者製造所だな」などという批判を浴びたこともありましたが、次々と建つ鉄筋コンクリート造りのデパートが昭和初期の新宿の新しい顔であったことは確かでしょう。 
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